旅館業で地域に貢献したい
30代・40代で「何をした?」「何を学んだ?」

これまでの道のりから「今ココにある輝き」の理由を探り、
素敵な40〜50代を送りたいと望むあなたにエールを贈ります。

Profile
富島 美樹(54歳 / 金武町在住)

1965年生まれ/東京都生まれ埼玉県育ち
◆海の旅亭おきなわ名嘉真荘 女将 ◆沖縄観光商事株式会社 副社長 【姉妹旅館】白金温泉郷 森のびえい〔保持資格〕歯科衛生士免許/健康・食育ジュニアマスター/INFA(国際エステティック連盟ライセンス)

歯科衛生士として16年間、東京〜埼玉の歯科医院で勤める中、企業検診など外部に出向く事で外交と教育に携わり、20〜30人もの歯科衛生士を束ねるリーダーの手腕を発揮。
36歳の時、北海道の特産物の販売を手掛けていた富島 誠一氏と運命の出逢いにより再婚。歯科医院を退職後、北海道へ。専業主婦になるも1年で富島氏の会社経営の手伝いにはいる。
北海道の特産物を案内するコールセンター事業では当時70名のスタッフの統括を行い2年でスタッフは150名まで増加、年商は20億円に達した。その間に函館にある取引先の経営を任されることも。その後、北海道は美瑛に立ち上げた自社の旅館を手伝い、更に東京渋谷に立ち上げた北海道の食材を扱う自社レストランのマネージャーとなり、経営の手腕が問われることに。
お役目を終えたのち北海道に帰るも、休む間もなく2016年に沖縄に旅館をOPEN。しばらくは外部に経営を任せていたものの、自ら経営の見直しを図るため沖縄に移住、女将となる。
人財確保と教育の大切さを痛感する中、2020年2月に『若女将募集プロジェクト』を発表、その斬新かつユニークな企画に新聞やTVなど地元メディアに取り上げられ、4人の若女将候補だけでなく知名度も上げた。

富島美樹
富島美樹

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歯科衛生士から実業家であるご主人の右腕に。次々と進む事業計画の中、未経験な領域でも体当たりでのぞみ、持ち前のコミュニケーション能力で業績UPに貢献。
その経営手腕とは?これまで大事にしてきた事が今、天職といえる『女将業』に生かされている。


相手の立場に立って物事を考える
歯科衛生士時代は、一人ひとりの患者さんに向き合いケアをさせて頂きました。思い出深い出来事は、がんを患い手が不自由になった患者さんが 「磨き残しが気になるから」と  退院後すぐに私のところに来てくれたこと。「先生に自費の治療を勧められたけど今はお金がない。まずは保険でなおしたい」と先生には言いづらいことを私に打ち明けてくれました。先生は最善の治療を勧めて当然。私が間を取り持つ事で先生も患者さんも傷つけない。その人にとっての最善を尽くしました。
16年もの間に企業検診などで外部に出向することもありましたが、他院の歯科衛生士さんや先生と協力体制を築き、段取りよく治療にあたる工夫をしたり、勤務先の歯科医院においては20名を超えるの女性スタッフの教育にも携わらせて頂きました。

全てはお客様の満足のために
1年の専業主婦も束の間に主人が経営する会社を手伝うことになりました。その事業とは、北海道の特産物を電話で販売するコールセンターでした。私はまず、電話のかけ方と商品についてスタッフから学ぶところから始まりました。北海道はカニ・ホタテ、いくらが有名。春は毛ガニ、その後に花咲ガニ、メロンにじゃがいもアスパラ。秋には秋鮭。毎月、売るものがいっぱいあるのです。それを楽しみに年に何度も購入する人も多くいらっしゃるのですが、同時にカニについてはクレームもいっぱい。その度に返金か、送り直しをしていました。セットにしているホタテなども、そのまま返品頂くことなく召し上がって頂きました。いいものを送ることで信頼を築く。耳を傾け対応させてもらうことが大事。お客様が増えてくると「ウチの商品も売って欲しい」というニーズも高まり売上も順調に伸びていきました。
一方で問題は人のメンタル。電話帳をみて電話しているのだから断られて当たり前。100件に1件、話を聞いて頂けるかどうか。電話して怒られるのではないかと恐れながらも、それでも100人に1人は会話ができる事を喜びにする。モチベーションの保ち方が肝心なのです。300件に3件のお客様から売上に繋がる世界ですから。
スタッフの悩みは解決できない事も多いのですが、とことん話を聞きます。業務に関する問題は皆で話す事で解決しますし、時には金銭の悩みまで聞くこともありましたが、そこは会社として出来ることを主人(社長)に訴え解決に導きます。そうしていると70人だったスタッフがピーク時は150人に。売上は年商20億を超えていたようです。

札幌から函館へ取引先の社長代理に
病に倒れ、ウチの会社を買って欲しいという取引先のために私が社長代理として函館へ。団体のお客様を相手に朝市を手掛ける会社でした。私に何ができるのかわからないままの出向。
ライフサイクルは変わり朝5時起きで昼で終わる仕事。朝食を用意しお土産を買って頂きアイスクリームでおもてなし。バスでくる団体のお客様には、個別に向き合う事ができずフラストレーション(欲求不満)がたまるばかり。この仕事のやり方は自分には向いていないと思いました。経営者が病気で寝込んでいる間にも、弊社のコールセンターは稼働し商品を売っている。「それがありがたかった」と。お役に立てたこと、1年後に復帰された事が何より嬉しかったです。

北海道から東京(渋谷)へレストラン開店
札幌にあるコールセンター業務が順調に運ぶなか、主人は美瑛に旅館を OPENさせ、家族にその経営を任せました。宿泊のお客様との繋がりを北海道の特産物のご案内で繋ぐ。「わざわざお電話ありがとう」と、一度でも宿泊されたお客様からは労いの言葉やお礼の言葉が頂けるのが嬉しいですね。旅館の事を少しでも思い出して頂く良いきっかけになりました。
その3年も経たないうちに今度は東京渋谷の東急プラザに北海道食材のレストランを出店することに。老朽化したビルの建てかえが決まっていたので2年半という期間限定でした。旅館のお手伝いはしましたが、飲食店の経験がまるでない私が店長として出向することになりました。
そこで学んだのは続けることの大切さでした。2年半という期間では成す術がなく、仮にうまくいったとしてもやめたら終わり。それを見越してか主人には手軽な海鮮丼でいったらどうかというアドバイスがあったにも関わらず、私は同じビルに入っていた老舗の料亭を意識してしまいました。老舗のお店にはお客様が既についているのでお客様が上がってくる。新参者の私達のお店がある9階までは上がってきてくれません。料理はもちろん、器や雰囲気にこだわってもお客様はいらっしゃらない。コールセンターと旅館と合わせて12,000人のお客様の名簿だけが頼り。新規のお客様向けのアプローチを行うものの、なかなか来てはくれませんでした。商売は続けることが大事ですね。

沖縄恩納村に旅館OPEN
飲食店の撤退後、コールセンター東京支店で人材育成に入り、その1年後にはもう沖縄の旅館がOPENしていました。当初は外部から支配人として雇い、経営を任せていましたが、視察にいくと驚愕の風景が。仕事はしてないし、お喋りばかりで掃除も行き届いていない。これではダメだということで、またもや私が出向することに。結局、OPENから3年経った今、料理長も変わり16人が退職しました。残った3人で掃除ばかりの毎日。私の休みは殆どありませんでした。
へこむことは度々。沖縄に入って1年目は、いつやめようかと。このやり方でいいのか?スタッフは答えてくれないし、お客様にお聞きしてもいいとしか答えてくださらない。それでも「本当に来てよかった」という声で支えられました。お客様に支えられ、ひとり二人のお友達に支えて頂きました。気付いたら3年で、仲間が増えました。本当に感謝しかありません。

若女将募集プロジェクト発足
かねてから主人は「旅館は女性がメインの場所だ」と言っていました。確かに旅館は、女性のきめ細やかな心配りや感性が生きる場。旅館は『おもてなし』の場所なのです。おもてなしの心は沖縄にあります。そこで将来の女将を目指す女性を沖縄で育成をしようと、立ち上げたのが『若女将募集プロジェクト』。そこには全国から台湾・中国からも「女将を目標に旅館で働いてみたい」「女将を通して経営を学びたい」など、21人もの意欲ある女性から応募があり、書類選考で4名に絞らせて頂き、4日間の合宿研修を行いました。この企画は 地元TVに『若女将決定戦″に密着』という形で番組に取り上げて頂きました。
研修では、経営理念をしっかり腑に落として頂くところから、接客やマナーなどの『おもてなしの基本』をお伝えしつつ、着付け・いけばな・茶道まで幅広く体験して頂きました。とても面白かったですね。
私はエステの国際ライセンスを持っていますのでフットやハンドのトリートメントを教えたりして。目に見えないお客様の気持ちを考えることを重点に、女将としての心構えをお教えしました。結果は見事、全員合格!「この出会いを大切にしたい」という主人との合意で4人の若女将候補が誕生しました。この4月から沖縄で経験を積んでもらい、北海道か沖縄のいずれかで若女将として活躍して頂きます。

女将として地域に必要とされる力になりたい
若女将が育つことで、私が出来るサービスを提供する時間があると嬉しい。口腔ケアやエステ、私で良ければ『お悩み相談係』なんていうのも(笑)。しかし今、私が一番やりたいことは地域活性の力になること。電話を使わなくなったこの時代に逆行して 沖縄の旅館にコールセンターをつくってもいい。近隣の困っている野菜の生産者やホテルの力になりたいのです。旅館がある名嘉真地区でも野菜がいっぱい余っている。大量にレタスを頂いても消化しきれない。何より頂くばかりでは心苦しいので、代わりに販売してあげたいし、地元の生産者を他のホテルにも繋ぎたい。
地元のホテルグループで、地元の捨てるものを使って消化。お互いに物が安く買える仕組みができたら素晴らしいと思う。ウチは旅館だけど旅館業だけはなく地域に必要とされる力になりたい。
ここは恩納村。せっかくのオンナの村だから『オンナ若女将のユーチューブチャンネル』というのはどうかしら(笑)。農家は野菜をつくるのが専門。売る専門がいることで安心して美味しい野菜づくりに専念できるのでは。イメージは、野菜を売る『ジャパネットたかた』ですね(笑)。

旅館を続けてお客様と繋がり続けたい
うちは沖縄にはない『純和風旅館』ということで、その風情のためか結納の場にご利用頂くことが多いです。結婚されたご夫婦から 「赤ちゃんが生まれたらまた来ます」と。丁寧にお知らせを頂く度に、とても嬉しくなります。関わったご夫婦や家族の成長が私の老後の楽しみ(笑)。
長いお付き合いができる旅館でありたい。そのためにはまず、私が忘れないように記念写真を撮影し保管して、写真集にしてお送りしたら喜んでいただけるかな。最近、観光のお客様の激減で、当旅館では県内のお客様にも気軽にご利用いただきたいと願っております。ご家族のいろんな記念日に使って頂けると嬉しい。
また、宿泊をしなくてもランチやディナーの利用で大浴場が利用できるサービスも開始しています。海を一望する広々としたお食事処では、イベントや講座、コンサートなどにもご利用頂けます。
ここ恩納村の名嘉真荘が、皆様のご縁を繋ぐ場所であり続けたいと思っています。

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名嘉真荘で講座やWS、イベント・セミナーを開催してみませんか。
※お一人様500円のデザートやランチ、夕食のオーダーで場所代は無料
※日時はご相談に応じます。

海の料亭おきなわ
名嘉真荘

TEL.098-911-6650
住所:沖縄県国頭郡恩納村字名嘉真855番地1 [map]
Web:https://www.okinawa-ryotei.jp

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